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第3回 「ぼくたちが孤児だったころ 」
                      塚田薫


「こんなにいい子を捨てるなんて」
おばちゃんが手伝いを終えた僕にお菓子を与えながら呟いた。僕は聞こえていないふりをしたと思う。9歳の僕は「孤児」だった。家庭という拠り所から切り離され、文書と福祉制度と見ず知すの大人を頼りにせざるをえない。
しかし「孤児」になることと、親によって嬲り殺されるのはどちらがマシなのだろう。

だらだらと雨垂れの中を地上10mくらいの線路に揺られて小綺麗な住宅街を縫って進む。自動運転で運転手のいない車両はするすると走っていく。
つい先日のことだ。5歳の女の子が義理の父親と実に母による虐待によって死亡するという事件が報道された。
スマートフォンでニュースを読みながらどう言っていいのかわからない気持ちになっていた。怒りと憤りとか悲しみとか遣る瀬無さとか憐れみとか、どれとも違うし、どれでもある。
電車の目的地はキンダーホルト。ドイツ語で「子供の家」という意味らしい。9歳のころにそこへ連れられていく児童相談所の車の中で読んだパンフレットに書いてあった。
児童養護施設だ。家庭で生活することができない子供たちの家。僕も住んでいた。
当時の記憶は物心ついた直後だったとはいえ曖昧だ。そこで暮らしていたころに、僕はその後の人生を左右する決断(親元に帰るか、施設に残るか)を自分自身でしたらしいが、その記憶すらない。
ぽっかりと抜け落ちている。
思い出せることを思い出しながら駅からキンダーホルトに向かう。
正門の前に着くとすぐに扉が開いた。西先生だ。当時の僕の担当職員、現在はキンダーホルトの園長、法人設立当初から30年以上にわたり何百人という子供を見てきた児童福祉の古強者だ。60歳前後、大きめなフレームの眼鏡、よく体に馴染んだVANジャケットとボタンダウンシャツ。アイビー世代。
ここでは未就学児から高校生まで約40人の面倒を見ている。子供達の事情は様々だ。とにかく産まれた家庭が彼ら彼女らを育てられないと判断された。
そういう環境に生まれた子供にはどういうサポートがあるのか簡単に書こう。
第一の要所は各地の児童相談所だ。
児童相談所は育児に問題を抱えた保護者本人からの相談、あるいは第三者(警察や学校、近所の住民など)からの通告があると家庭訪問や親子面接などで児童の安全や現状を確認する。
そこで家庭にいても大丈夫だと判断がされれば、通所でカウンセリングや助言を提供し見守る。
一方で家庭においておくと危ないと判断された場合は緊急一時保護だ。児童は家庭から切り離されて児童相談所の一時保護施設で暮らすことになる。そこで今後のことを決める。僕もそこにいた。
最新の統計では児童相談所が一年間に受ける通告が約15万件。虐待はその60%ほどで約10万件だ。
冒頭の事件では児童相談所は少女が虐待をうけている疑いがあると把握していたという。何度か職員が家庭訪問をしたが被害児童と直接面会ができずそして少女が死んだ。
28歳の僕はキンダーホルトの応接間に通された。世間話もそこそこに西先生は分厚いファイルを差し出した。僕のケース記録だ。
児童相談所からの引き継ぎ資料としてキンダーホルトが受け取った僕の心理的、生活所見(究極の個人情報!)
曰く、こんなかんじ。
「自身の環境や自身の心境について語ることに強い抵抗と混乱」
「虚無的」「周囲への強い失望感」「弱者への嗜虐」「遊び好き」「陰湿」
知能は全体としては平均の範囲内。しかし得意と  非得意のギャップがかなり極端。いわゆる典型的な発達障害に近い。
「理解力が高く知的好奇心も旺盛で本をよく読んでいるが、勉強には興味を示さない」
学力の低さは「軽度の知的障害を疑」われるほどだったが、知能や生活所見から単純に学校や勉強が嫌いと判断された。なかなかの書かれように少し凹んだが今と大して変わっていない。
こうして調べた本人の状態や家庭環境などからその後の行き先が決まる。
児童相談所の一時保護所では様々な人が子供達の世話をする。心理学や児童福祉の学位と資格を得た専門職員もいれば、自治体や警察からの出向職員。それだけでなく実習にきている学生、そして栄養士のや掃除のおばちゃんもいる。
僕はおばちゃんたちにとてもかわいがられた。当時の写真をみるとぼっちゃん刈りの痩せっぽち、そして小首をかしげたポーズで写っている。まあかわいらしいというか、かわいがられるツボを心得ているといった感じだ。
その時にはもう子供であることの唯一で最大の武器、つまりかわいがられる存在である強みを理解していたのだと思う。掃除や配膳を積極的に手伝った。退勤際には服の裾を掴んで見送った。指先だけで軽く握るのがコツだ。気付かないふりをして振り解くことが簡単なように。
冒頭の記憶は多分その頃だと思う。
そして児童相談所での一時保護の間に家庭復帰が難しいとなったら施設へ送られる。施設の空き状況や子供の特性を考えて行き先が決まる。
そして僕はキンダーホルトにやってきた。

西先生は壁にかかっていた集合写真を持ってきた。現在の場所に移る前の、つまり僕が暮らしてころの施設建物の前で撮られたものだ。みんな笑ったりしかめ面をしたりポーズをとったり色々だ。僕は写真の中央あたり、同年代の男の子たちと並んで揃いのポーズ(親指を立てる)で笑っている。
何人かの顔は覚えていた。何人かは名前も覚えていた。
僕より1学年下の喧嘩っ早く何度も殴り合いをした少年の名前は雄一だったかもしれない。彼の妹も一緒よく遊んだ。一度、彼に一方的にぼこすかにされたことがあった。何かの拍子に妹を泣かせてしまったのだ。そこに現れた彼は僕の釈明も聞かず物凄い勢いでつかみ掛かってきた。今度は僕が泣かされた。
何度か彼らの父親が僕も一緒に遊びに連れ出してくれた。とても親切で気前もよかったおじさんは両手の小指がなかった。
髪の長い少年と高校の制服を着ている少年が並んでいる。夜中にトイレに行ったとき、ある部屋やらゲームの音がしていたので何気なしに隙間から覗くと二人が遊んでいた。プレステのバイオ2だ。それからよく遊んでもらうようになった。
制服の彼はいかつい坊主頭に似合わずゾンビのふりをして年下の子供たちと鬼ごっこをしていた。彼の妹は僕より一つ年上でよくからかわれた。
長髪の彼は学校へ行かずずっと部屋にいた。学校を休みがちだった僕は休むたびに彼とゲームをしたり、休日にはたびたび一緒に近所のブックオフへ行った。二人に着いて夜中に何度か抜け出してジュースを奢ってもらったりした。二人は公園のベンチで黙って煙草を吸っていた。
近所の高校に通っていた双子の女の子もいた。雄と僕をぬいぐるみのように抱っこしてくれた。
暴力的な少年もいた。多分なにか情緒面でトラブルがあったのだと思う。些細なことで怒り誰にでも食ってかかった。僕たちも何度も殴られた。
楽しかったことばかりじゃない。嫌なことをされたし言われたし、多分僕もやっただろう。
それでもあそこは僕の家だった。
ところで最近の児童福祉は家庭的養育とか地域化がトレンドらしい。平成29年に施行された改正児童福祉法ではその方針がはっきりと表れている。同法を読むと虐待リスクを抱えた親の支援の他に、大規模施設から小規模なグループホームや里親といった家庭的な環境での養育を進めていくようだ。
キンダーホルトでも小規模な施設を新設して西先生もいくつもの施設を回り大変に忙しいと話していた。家庭的、つまり親密な心の繋がりと職員の目が行き届きやすい環境が大きなメリットだ。
しかし課題は福祉業界の慢性的な人手不足だ。児童擁護施設では小学生以上には児童5人につき職員1人、グループホームでは定員6人では職員の3人程度が標準だ。この人数で夜勤も回すとシフトはかなりきついだろう。また少人数の職員では役割を分担するにも限界があり、職員1人が担う業務の幅も広くなる。
その割に合わない給与水準の低さもあって若手職員の離職率は高い。僕の知人も児童施設の職員だったが数年で転職した。
同時にその親密さはそのまま排他性にも繋がりかねない。「家庭」はブラックボックスだ。外からではその中でなにが起きているのかわからない。職員は子供の親代わりだ。家庭内の虐待で加害者となった親の多くストレスを抱えているように、子供たちの親代わりである職員に余裕がなければどうなる?
冒頭の5歳の少女が死んだ事件にも関わる大人の余裕のなさがあっただろう。児童相談所はどこでも人手不足だ。職員1人が同時に100件ものケースを担当することもざらだという。
児童相談所の虐待の対応件数は冒頭のように毎年増え続けている。今では年に約10万件だ。ただしこの数字をそのまま児童虐待の深刻化とは読めない。なぜなら家庭内というブラックボックスでおきる虐待の実数を正確に把握することはできないからだ。
児童虐待を知った者には児童相談所に通告する義務がある。平成19年に改正された児童福祉法では、それまで「虐待があったら」(平成12年改正児童福祉法)とされていた通告の基準が「虐待があったかも」とゆるくなった。こうしたためか平成10年代初頭には1万件台だった対応件数が現在では約9倍の10万件だ。
また例の事件に関係して、警察なんかとの連携不足が指摘されているが、誰が通告したかの内訳では「警察から」がかつては7%程度だったのが、連携の強化が法律に盛り込まれてから警察からの割合が増え最新の統計では37%に達している。
このように制度の改善によって児童虐待が家庭外の目に当たるケースは確実に増えているといえる。しかし虐待死は後を絶たない。
対応件数、つまり仕事量が9倍に増えても、児童福祉司の人員は2.5倍しか増加していないということをがある。児童相談所は完全にオーバーワークだ。
つまり児童擁護にせよ児童相談所にせよ、制度設計に対してマンパワーが完全に追いついていない。
更に児童擁護施設の小規模化・家庭化という方針によって、これまでの大規模施設が分割され各地で小規模な施設の新設が進んでいるが、地域住民の反対によってたち消えになるケースが相次いでいる。これまで精神疾患、障害者、高齢者など児童以外の福祉分野でもオープンな存在であろうと転換しつつある。図らずとも地域社会から隔離されるような閉鎖的なものが多かった。人は誰かと繋がらなければ生きてはいけない。しかし地域の受け入れ態勢が整っているとはいえない。

気の重くなる話が続いた。西先生と3時間、話し続けた。
何杯目かのお茶の淹れ直しから戻った先生が脇に何かのケースを抱えて戻ってきた。ベロア生地で覆われたケースを開くとクラリネットとバイオリンが出てきた。名古屋市の河合楽器販売社から寄付されたものらしい。施設には個人や企業からいろいろな差し入れが届く。寄付金、きれいな服、お菓子や食べ物、おもちゃ、映画や芝居の招待状など。楽器はそのうちの一つだ。
さきほどからうってかわって先生は楽しそうに調律を始めた。僕にギターを教えたのもこの人だった。僕も手に取る。当たり前だが黒板を引っ掻いたような音しか出ない。それでも楽しい。

部屋の外では子供達が遊ぶ声が聞こえ始めた。外出や学校から帰ってきたのだろう。先生に連れられてホールへ出た。雨がふっているからみんな運動場ではなく中にいる。卓球台とアプライトピアノがある小さな広間だ。何人かがピアノを叩いたり、卓球をしている。男の子もいれば女の子もいる。外国にルーツをもつであろう子もいる。
カメラをぶらさげた僕と同行の編集者に少し警戒しているようだったが、生意気そうな男の子が近寄ってきて、西先生が僕を卒業生だと紹介した。
1分後には卓球大会だ。
僕たちはいつも退屈で仕方なかった。外から来た人は実習の学生も地域のボランティアも誰かの保護者もみんな遊び相手だ。
中学生の男の子が部屋を見せてくれた。子供の居室は2階だ。恥ずかしそうに、でも嬉しそうに色々な話をしれくれた。部屋は、まあ汚い。どこにでもある子供部屋といった雰囲気。ゲームや漫画、教科書、制服。ここにもギター。あまり弾いていないと照れた様子。
2階の窓から小さなレンガの窯が運動場の隅に見えた。卒業した少年が作ったピザ窯だという。西先生と作り方を調べて、材料を買ってきて0から作ったものだ。
『初秋』という小説みたいだ。大人に振り回されて自分には何もできないと思っていた少年が、タフな私立探偵とログハウスを作る話。西先生はタフガイではないが大工仕事は得意らしい。

僕と暮らしていたみんなはどこへ行ったのだろう。
施設出身者の進学率は低い。経済的にもハンデがあり、家庭という生活基盤がないからだ。ただ最近はそういう児童のための奨学金制度も増えてきつつあり、昨年キンダーホルトを卒業した一人は愛知県で始まった奨学金制度のモデルケースとして援助を受けて大学へ進んだ。
また自営業の施設出身者や有志が就職を受け入れるネットワークも広がりつつある。
しかし一方で施設出身者の進学率・就職率は低いし、学校や職場での定着率も低い。
僕が個人的に知っている女性は、ある施設を18歳になって出たはいいが支えとなる家庭も仕事も学校へ通う余裕もなくそのまま性風俗を10年続けていた。別に風俗そのものがいけないと言うつもりはないが、他に選択肢がなく止むを得ず選ぶにしては身体的・精神的リスクが大きすぎる仕事だ。
僕は幸いにも大学へ進み、卒業はしていないが教育を受けた。そのおかげで本を書いたり色々な人との出会いもあった。施設で暮らさざるを得ないほど「不幸な家庭」出身の割にはかなりラッキーなほうだろう。

「かわいそう」
恵まれない相手にそう感じるのは自然なことだ。あのおばちゃんのように。それは掛け値なしの善意だ。でも哀れまれる側だった僕はどうしようもできない居心地の悪さがあった。
それを受け入れてしまったら自分は「かわいそうな人」にしかなれない。それは僕のプライドが許さないし、そこから動けなくなってしまう。
何年か前に兄と酒を飲んでいた時に彼はふと言った。
「俺たちはあの地獄を生き延びた」
たしかに地獄はこの世にある。5歳の少女が誰にも知られず嬲り殺される地獄だ。
兄は中卒で汗を流して働きながら父親になった。姉はとても良いパートナーを見つけて母親になった。僕は何者でもないがそれなりに生きている。
地獄はこの世にある。もしかしたら隣の家が。

【追記】
その後、とある自治体の児童相談所職員の方と話す機会があった。
彼女は20代半ばで、大学では福祉を専攻し障害者施設の職員を経て現職。
育児や家庭に関する相談から、学校や警察との折衝、一時保護施設にいる子どもの世話、施設へ入る場合はその事前の打ち合わせやアフターフォロー、施設に暮らす子ども達との面談など業務は幅広い。
飾り気のない眼鏡、セミロングの髪を一つにまとめ、動きやすさ重視の服装で車に乗ってあちこちを回る。自治体の職員だが、必要があれば区域外も飛び回る。下手な営業職よりも移動距離は長いだろう。
仕事についていくつか質問をしてみたが、扱うことが他人のプライバシーそのものという家庭問題のため具体的なことはあまり答えられないようだった。いくつか聞けたこともここには書けない。
「うちでは年に1500件ほどの案件を扱います」
仕事量について彼女は言った。育児相談から緊急の一時保護まで介入の度合いは様々だが、それを担当する職員数は決して多くない。そして若手職員の離職率はやはり高い。

児童相談所という機関の存在すら知らない人も少なくないし、その上に児童相談所は虐待がニュースを騒がせる度に批判的なトーンで語られる。
それでも僕が思うのは、ニュースになっていないだけで同じような事件のリスクをなんとか抑えているのは彼女ら彼らだ。
その仕事に派手さはない。警視庁24時とか不法滞在Gメンみたいにテレビ向きな分かりやすい悪者もズルいやつもいない。
もしその仕事の現場に潜入するドキュメンタリー番組を作ろうとしても、まずカメラを現場に持ち込むことすらできない。なぜなら個人の家庭という究極のプライバシーに踏み込む仕事だからだ。
さらに酔っ払いやケチな窃盗犯、あるいはオーバーステイの外国人はいくらカメラを向けたところで文句は言えない立場だ。しかし児童相談所が関わる個人はそうではない。
その現場を映像化(でなくとも文章でも)するのはとてつもなく難しい。そしてその難しさはそのまま家庭内で起きる虐待の救いがたさに直結する。
それでも、目立たなくても、報われなくても、褒められなくても、自分の仕事に向かう人たちがいる。
そういう人たちがいるから僕はなんとかやってこれた。

その日、話が終わると眼鏡をかけたリアルヒーローはまた車に乗ってどこかへ飛んでいった。